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多田夏雄の美術紀行

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宇都宮美術館にて開催中の 「語るシャガール 語られるシャガール」

2014年 05月09日 22:38 (金)

先日宇都宮美術館のシャガールの展覧会に行ってきました。
前半は旧約聖書の創世記の物語をマルク・シャガールが挿絵として描いたものの展示が多く並んでおりました。
彼はユダヤ人で敬虔なユダヤ教徒でもあります。
カバラ主義者でもあり彼の描く旧約の物語は単なる挿絵ではなく深い信仰心に満ち溢れているのです。
ユダヤ教徒ではありませんでしたが17世紀のレンブラントも旧約の物語をエッチングや素描によって多くのこしています。
ですからシャガールもこう言っています「きっとレンブラントも僕のことは気にいってくれると思うよ」
さて、ポスターになっているシャガールの油彩は黒の地塗りが施されています。
絵描きという職業者の一つの技術として地塗りと称す下色をキャンバスに塗りつけるものがあります。
スーラなどは鮮やかな三原色の点描で知られていますが初期の作品などはその鮮やかな色彩の下に赤茶色が施されておりそれが画面の調和と深みにつながっています。
しかしそもそもそれは19世紀までの伝統的絵画技法だったのです。
16世紀に発明された当時のキャンバスは赤茶色に地塗りが施されておりその地塗りに合わせてパレットも赤茶色のニスが塗られた木製のものを使用しておりました。
それをベースに透明な色で影を描き明るい部分をグレイからホワイトの明度の幅で明暗に基づいてモデリングを始めます。
これが明暗法の始まりでした。
それまでの色彩対比の装飾的できらびやかなルネッサンステンペラ絵画と比較して重厚で奥行き感のあるまさにレアリスムの名にふさわしい写実的な表現方法がとれるようになったのです。
そのためには暗めの地塗りが欠かせませんでした。
それは19世紀まで連綿として続くのです。

さて何故茶色なのかと言うとその当時他の色は大変高価であったこともその理由でした。
青や緑は宝石を砕いたものを使用しておりましたし、朱色などは現代においても大変高価です。
ですからこれらの高価な絵の具を地塗りにすることなど考えにも及ばなかったのです。
彩度が高すぎず色層が突出しない土性系の顔料は値段も安価でありふんだんに地塗りとして用いることが容易かったのです。
あの輝かしいルネッサンス期のテンペラ画の地塗りには色彩の発色と明るさが求められたため、イエローオーカー(黄土色)という顔料が使用されました。
時代が下るにつれ赤茶色、暗褐色へと地塗りの明度が下がっていったのです。
そうなった理由の一つとして油絵の具は透明な色彩を用いられることも去ることながら16世紀ベネツィア派あたりから、テンペラ画とは違う厚塗りのきく隠ぺい力のある絵の具が使用されるようになったことも地塗りの極端な暗褐色化に発展したのです。
土性系の色は空間表現においても色調が馴染みやすくバルール(色の発色における空間の位置関係)を壊さない特性を持っていました。
しかし画面全体が地味な感じになるのも事実だったのです。
時代が下って土性系顔料の選択が暗転化の方向にエスカレートしても黒の地塗りだけは一般化しませんでした。
何故なら黒という顔料は油絵の具を練り合わせるときに必要とされる最低の油量(専門的には吸油量といいます)が多いため乾きにくいのと同時に上層に乗せる油絵の具の食い付きが悪くなるという組成的関係から用いることがタブー視されたのです。
また絵画表現上画面が暗化しやすく扱いずらいこともその理由にあげられます。
しかしながらシャガールほどの鮮烈な色彩を使いこなす画家のみがこの黒の下地を使いこなせると言っても良いでしょう。
しかし私はあえて彼の思想性を黒い下地塗りの理由として指摘したいとおもいます。
先述したようにシャガールはユダヤ人であり、ユダヤ教の教義にこだわった人間でした。
黒い地塗りが示すものは「暗闇」でありそこに「光あれ」というヤハウェの言葉を想起させます。
ヤハウェは初めに光を創造したのです。
シャガールもその神の創造に自分の絵画を近づけたかったために黒の地塗りをあえて選択した・・・というのが真実かもしれません。
本展の作品を鑑賞してそう感じた次第です。
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テーマ : 絵画
ジャンル : 学問・文化・芸術

ロボニャンと質量0の物理学

2014年 04月03日 23:35 (木)

①神の数式

シュールレアリスム論からのエッセイの中で僕がしばしば話題として触れた宇宙論の話です。
「この世界は何で出来ているのか?」というのが今回のテーマです。
これらの内容を「数学の言葉である数式」で説明する行為それが「物理学」です。
万物創造の「宇宙の設計図」を「物理学者」は「神の数式」と呼んでいます。
「万物の理論」とは「素粒子から大宇宙への説明が出来うる理論」です。
この100年で物理学者たちは「万物理論」を探し求めてきました。
最初の発見は「基本素粒子」の理論でした。
原始を構成する最小単位はe(電子)ν(ニュートリノ)uとdという二つのクオークの4つの働きにおける研究でした。
「電磁気力」・・・電子(e)を原子核に引き寄せる力。
「弱い核力」・・・ニュートリノ(ν)を原子核から外へ放り出す力。
「強い核力」・・・2つのクオーク(uとd)を原子核へ戻す力。
「ポール・ディラック」という物理学者は原子はマイナスの電子を持ち自転公転する天体のような性質を持つ事を方程式で唱えました。
「シュレディンガー方程式」がそれです。
 
②美の方程式

「物理法則は数学的に美しくなければならない」と学者たちは口にします。
物理学における「美」とは「対称性」の事です。
「対称性」には「回転対称性」という「ろくろで陶器を作るような上方から見て中心から均一な形状」を言います。
その他に「並進対称性」と「ローレンツ対称性(時間=空間という対称性)」があります。
「完璧な美しさは全ての対称性を有する」と言います。
「ポール・ディラック」が発見した「ディラック方程式」は自転する磁気能率を証明し「回転対称性」「並進対称性」「ローレンツ対称性」を充たしました。
あのe(電子)ν(ニュートリノ)uとdの二つのクオーク、全ての説明が可能になったといいます。
「原爆の父」と呼ばれてしまった「ロバート・オッペンハイマー」は「ゲージ対称性」を取り入れ電子は光子によって結びつけられることを見つけました。
しかしこの時数式では起こってはならない「無限大」(Infinite)が計算上はじき出されてしまい、彼はその謎を放りだしたままあの「マンハッタン計画」の責任者となり二つの原子爆弾が日本へ投下されたのでした。

③無限大

オッペンハイマーが壁にぶつかった「神の数式」における「無限大」の問題を日本人の朝永振一郎が解決しておりました。
原爆の事で自責の念に駆られたオッペンハイマーの元に朝永からの一通の手紙が届いたのです。
1943年に執筆した「場と量子論の相対的な定式化について」朝永のこの論文に対し「権威ある科学誌に掲載する事」をオッペンハイマーは彼に進め「量子場理論での無限大の反作用について」をオッペンハイマーの協力により1948年に論文発表しました。
「無限大は取り除くことが出来る」大戦中において日本人の朝永は世界において誰よりも最新の研究成果を出していたのです。
これによって物理学における「電磁気力の壁」は打ち破られました。
「ヤン」という中国の物理学者は3つの力「電磁気力」「クオークにおける強い核力」「ニュートリノにおける弱い核力」を非可換ゲージ対称性「荷電スピンの保存とゲージ不変性」を1954年に発表しました。
この時「強と弱の核力を伝える粒子の重さ」が「計算上ゼロになってしまう」という大問題がはじき出されたのです。
光子の質量がゼロである事が当時から知られてはいましたが・・・。

④美に導かれると質量はゼロになる

「力を伝える粒子」だけでなく電子ニュートリノ二つのクオーク全ての素粒子の質量がゼロになってしまう『謎』は未解決のままでした。
しかしこれはあくまで「数式上」なのですが。
実験をすれば物質に質量が在る事は明白です。
「理論と実験」の間に著しく矛盾が生じたのです。
もし全ての物質の粒子が「重さゼロ」であるならば大変な事が起こります。
「質量は粒子同士を引きあう力」を有しますのでこれがゼロとなればこれらは光の早さで全てが飛び散り拡散してしますのです。
こうなるとこの宇宙における全ての物体から「形」が消えるのです。
この事について2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さんは「美しさに導かれると何故か重さはゼロになる」と唱えたのです。
彼は「鉛筆」という日常にある事物を通してこれを説明します。
「鉛筆の形状は回転対称性を持っています。鉛筆の削った先端を下方にしこれを平面上に全く誤差の無い状態で垂直に立てた時、理論上では立つはずなのに実験結果では全て倒れてしまう」ことを指摘されています。
「鉛筆を立たせる為の理論設計図」では鉛筆は立つのに現実世界では「鉛筆の持つ回転対称性」を無視して倒れます。
これを「自発的対称性の破れ」と彼は呼びました。

⑤完璧な美しさは崩れる運命

「自発的対称性の破れ」は自然界の設計図でもおこります。
「観測する物理現象には対称性が無くても良い」と考えこれをもっと数学的に言いなおすとこうなります。
「自然現象を記述する数式対称性があっても、その数式から導き出される現実には対称性は無くても良い」
1961年に南部陽一郎さんは「強い核力における研究論文」として「超電導の類推による素粒子の動的模型」を発表します。
これは強核力の設計図に対する内容です。
これは二つのクオークの質量m=0を言及し解決する策として「完璧な美しさは崩れる運命」にある事を唱えたのです。
重さゼロ(m=0)は宇宙における完璧な美しさなのです。
「これが宇宙創世と共に少しずつ美しさが崩れ質量を持ってきた」と考えたのです。
では何故「質量」が生じたのでしょう。
それを「スティーブン・ワインバーグ」という物理学者は「ヒッグス粒子」という理論を「ゲージ粒子の質量と対称性の破れ」を1964年に発表します。
彼は「ヒッグス粒子を持ち込めば素粒子に質量を獲得する事が出来る」と考えました。

⑥ヒッグス粒子

ワインバーグさんはこう考えました。
「宇宙創世つまり神が宇宙を設計した時には全ての物質には質量が無く宇宙全体に拡散していた。これにヒッグス粒子という調和を壊す粒子が生じそれは時間と共に増え続けた。そうするとそれまで自由に飛び回った電子などはそのヒッグス粒子に阻まれ動きにくくなったのである。
これが質量の始まりである」とします。
「阻まれ運動の妨げになる事」は「ものの抵抗」と同義であり「抵抗」は「重さ」を生じさせます。(遠心力や慣性の法則はコレです)
これによって物質は「原初の美しさを崩壊させその結果質量を有し」たのです。
ワインバーグさんは更に1967年「軽粒子の一つの模型」を発表します。
それによると「弱い核力の粒子にも質量を与えること」を証明したのです。
しかしながら彼の提唱する「ヒッグス粒子」には異論を唱える物理学者もかなりいました。
「ヤン博士」や「ホーキング博士」もその一人です。
彼らの主張はこうです。
「全ての真理は美しくなければならない。ヒッグス粒子は『美しくない』」とても直感的な意見でした。

⑦神の設計図とトイレ

「ヒッグス粒子はトイレのようなもの」とまで言われました。
「無いと困るが美しくない」からです。
後付けの御都合主義ともとられました。
しかし「ヒッグス粒子」がワインバーグさんによって唱えられてから40年以上たった2011年に大掛かりな実験の結果「ヒッグス粒子」と考えられる痕跡が発見されたのです。
この実験は2年の歳月がつぎ込まれ2012年にそのデータの中に「ヒッグス粒子と思われるシグナル」が捉えられたのです。
「私たちはついに新しい素粒子を発見しました」
そうです「ヒッグス粒子です」
この事により宇宙を知る為の「標準理論」が揃いました。
「この宇宙は原初においては『神の数式どうり』に存在しその事により素粒子は飛び回り『ヒッグス粒子』の増殖と共に『自然物』は重さが生じ『原子』が創られ宇宙が完成したのです。
「神の設計図」では鉛筆の削った先端を下に向けた状態で垂直に立つことが証明されているのにも関わらず素粒子に「重さ」が生じて「フィジカル(物質的)」な性質を有した途端、その鉛筆は倒れ出す。
という一つの宇宙における物質とその概念が証明されたのです。
つづく

⑧プラトンのイデア論

この「設計図と質量ゼロ」が示唆しているのは「『フィジカル(物質性)』な性質を宇宙が持つと、もはやそれは『美』では無くなる事」でした。
この理論にとても似た考えを持つ哲学者がいました。
あの「プラトン」です。
シュール論の中で僕はしばしば「プラトンのイデア論」を引用しました。
「正円は、この世界に存在するか否か?」という問いを僕は用いてこの「イデア」を説明しました。
「概念上いや理論上では『正円』は描く事が出来るのに何故か現実に『正円』を描くと『誤差』が生じる」と言ったものです。
イデアは「数学的な真理」と同義です。
「曖昧なもの」は真理ではなくこの物質世界はまさに「曖昧なもの」であるからです。
「質量を持たない頃はイデアどうりの美しさを持っていたのにも関わらずその『重さ』が生じた時にその『美』は音を立てて崩れさる」のです。
プラトンのイデア論が2400年近く経って物理学によって「証明」されたのです。
僕はこれを知って戦慄が走りました。
この事を示唆するテレビアニメを最近観ました。
「妖怪ウォッチ」です。
その話のはじめに登場した「ジバニャン」のエピソードがそれです。

⑨ジバニャンとロボニャン

アニメ「妖怪ウォッチ」に登場する「ネコの妖怪ジバニャン」について少し説明しましょう。
ある飼い猫が車にひかれてそれまで可愛がっていた飼い主の女子高生は死んだジバニャンを見て悲しむと思いきや「・・・ダサ。」(ださい。かっこ悪いの意)と非常な事を呟きました。
その言葉がショックで死んだその飼い猫は成仏できず自縛霊として、その事故現場から離れられず人々に憑依しては「寸止め事故」を起こします。
そしてあの「僕は死にましぇーん」の有名なセリフをはきます。
僕の友人I君は子供がこのアニメの影響を受けて「僕は死にましぇーん」を連呼するのを見て「うわぁ懐かしい」と呟きました。
彼は「妖怪ウォッチ」を見ていなかったので25年前放送されたテレビドラマ「101回目のプロポーズ」主演の武田鉄矢さんのセリフかと思ったわけです。
40~50代の人々まで「笑わせる仕掛け」をしたこのアニメ「あなどれないな」と感じました。
しかしもっとすごいのはジバニャンの「未来裏設定」です。
何百年か後ジバニャンは「ロボット化」するのです。
タイムワープして主人公とジバニャンにその事を知らせに来ました。
松本零士先生の「銀河鉄道999」にも「機械化した人体」なる描写が登場します。

⑩ジバニャンとロボニャン2

「人間を機械化したもの」を「サイボーグ」と呼びます。
「サイボーグ化」する動機は「人体が弱く病気がち」か「長生きしたい」からです。
本当は生身の方が良いに決まっています。
例を挙げて説明してみましょう。
「総入れ歯」と「自前の歯」どちらが良いですか?
「眼鏡」をかけた状態と「裸眼でも視力が良い」状態とどちらを選びますか?
「カツラ」によって無くなった髪を偲ぶのと「自前の髪」とどちらが嬉しいですか?
前者は全部広い意味で「サイボーグ」です。
さてジバニャンが何故ロボットになったかと言うと「妖怪化」して「この世」に止まる事によって「人間の友達らの死」を数え切れないくらい体験するのです。
ジバニャンはその悲しみから逃れる為「ロボット化」を決意するのです。
「死んでいる妖怪」が「ロボット」という物質性のある肉体を持ったわけです。
でもこれって一種の「自殺」になるのです。
ロボット化して「ロボニャン」になった「ジバニャン」からはかつての「ジバニャン」のメンタリティーは感じられません。
冷徹で表情は無くつまり「心」を失ったのです。
「妖怪」とは「エーテル(精神)的」な存在です。
そこに「質量を持った物質(肉体)」を持つ事によってエーテルは失われたのです。

⑪ジバニャンとロボニャン3

かつてジバニャンだったロボニャンはタイムワープして過去のジバニャン達にこう言います。
「悲しみのあまりロボット化した」と。
ロボットには感情が無く「悲しみ」も理解出来ない為その苦しみから解放されたわけです。
「『物質性』を持つ事それこそがエーテル的な存在『妖怪』にとっての『死』」と言っているように聞こえてなりません。
宇宙創世を意味する「神の数式」で述べた「『神の設計図』には『重さ』がなくモノ『重さ』すなわち『質量』が生じ始めると、その『美のイデア(神の数式)』は崩壊する」という理論とイメージ上重なり合うのです。
妖怪=エーテル=イデア=神の数式であり質量を伴なったロボット化=エーテルの死=イデアの崩壊=神の数式のズレ=美の崩壊となるのです。
単なるアニメのエピソードでしたが僕はその中に最新の物理学が証明したプラトン哲学「イデア論」と二重視出来た事に奇妙な喜びを見出しております。
さて話は変わって先日作曲家の夏田昌和さんという友人が我が家を訪ねて下さって「バッカス祭り」と称す4,8キログラムの牛肉のステーキと赤ワインのみをひたすら食すイベントをしまして、この「イデア」と「芸術」の論議を交わしました。

⑫イデアと芸術

「音楽ってイデアとフィジカルとの闘いですよね」
僕は少しいい加減な事を言ってしまいました。
夏田さんは「う~む」と少し言葉を濁されました。
それもそうです「譜面がイデアでそこにいかに近づくか」だけが音楽の本質だと仮定してしまったら「音楽における即興性、表現性は虚無になってしまう」からです。
肉焼き係りの版画家の友人Iは「オリジナルの問題って版画家の宿命みたいなものでね。モノタイプだと怒られちゃうし量産が目的だったらコピー技術で終わってしまう」と洩らしていました。
夏田さんは「イデアに執着する事は大切ですか?」的な事を言われてI君は「イデアを追求すると美術って意外と無味乾燥なモノになるんですよ」
と言いそれに対し僕は「フィジカルな曖昧さに旨味がある」とも言いました。
夏田さんは「ではイデアってなんでしょう?我々が目指すものは何でしょうか?」
そして僕が出した答えは「人間で在る以上いくらイデアを夢見てもフィジカル世界にいる以上その願いは到達出来ない。その想い、つまりερως(エロース)こそがアートの本質ではないでしょうか?」
僕が言い終わると二人は分厚いビステッカ・フィオレンティーナを美味そうにほおばりました。

おしまい

ジバニャン
ジバニャンにとって製造したロボットは自分の墓標だった。
己の供養の為ロボットはチョコバーを製造し続ける。

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ジャンル : 学問・文化・芸術